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我々は生まれた時から活動し、だんだんと年老い、死んで他の生き物に食べられ糞になったり、焼かれて灰となったりします。 植物も他の食料となったり、灰となったりします。 物も壊れ、金属は錆び、石は砂となり・・・ 何かの都合で誕生したものは土や水など安定した状態に戻る傾向があるようです。 中にはほとんど変わらない金などの金属や、なかなか風化しない石、すぐに消えてしまう音や雪の結晶など程度の違いはありますが、時が経って安定した状態に戻って行こうとするのは、物にとってだいたい共通の傾向のようです。 物は生まれた時は強い生命力を発し、時を経るにしたがい自然と調和して味わい深くなり、新たな生命の誕生へと受け継がれる希望が感じられます。 いろいろな物がよせ集まって出来た建築物などを見ると、 このようなことは他の様々な物にも言えると思いますが、人間にも当てはなるかな? 040702 |
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あらゆるエネルギーが最初から安定していれば、我々は生まれる必要も土に戻る必要もなく、この宇宙や自然ができることも、建物を作って雨風凌ぐことも、喜びや悲しみ、感動や苦労も何もないと思います。 しかし、最初に何か大きなエネルギーの揺れがあり(科学者のいうビッグバンでしょうか)、何もないところに波風が立ち、場が不安定になり、そのエネルギーの揺れで熱を持ち、質量を持ち、空間を持ち、形を形成し、、、水面に落とした石の波紋のように「生と死」「+と−」「陽と陰」を繰り返す世界が生まれたと思います。 生物は生死を繰り返したり、大気には高気圧や低気圧があったり、ある現象は収まったかと思うとまた別の形で現れたりして、この世は+と−を繰り返しながらバランスをとっているようです。 建築も誕生する時に大きなエネルギーを使い、徐々に安定した状態に戻っていこうとする流れの中にいることが多いので、誕生時のまま安定を保つものではなく、時と共に変化するものであることを意識して建物と接していくべきだと思います。 040702 |
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有名な人や会社がそれなりに作ったものでも、心のこもっていないものには何も感じなかったりしますが、逆に心を込めて作ったものからは、少々欠点があったとしても活き活きとしたエネルギーを感じることがあると思います。 これは建築にも料理にも、工業製品にもスポーツのプレーにも、他のあらゆる物事にも言えることでしょう。 ものに魂が宿るといいますが、程々に体裁良く作ることを目的としたものより、その先に向かって突き進んだものにこそ、人々に多くの感動を与え、時を超越するエネルギーが宿るような気がします。 040511 |
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我々生き物は欲を叶えようとしながら生きているところがあり、多くの現代人の場合は人の欲を叶えることでお金を手に入れ、そのお金で自分の欲も叶えようとする欲の循環の中に身を置いているようです。 もちろん欲を持つことは当たり前のことだし、空腹を満たしたりいい暮らしを実現しようとする事は悪いことではなく、環境をよくしたり人を幸せにしたいなどの良い欲もあります。 しかし、我々の欲は自然に存在するもので欲を満たすには間に合わなくなってきて、それでも欲を満たそうとするため、知恵や知識、技術力を持った人間は、ドラえもんが出す道具のように人工物を作って間にあわせようとします。 食品では 建材では その他では 数え出したら切りがないし、あらゆる分野の物にあるでしょうね。 人工の物でも完成度が非常に高ければ不自然な感じはしないと思うのですが、それには相当な手間をかけて洗練させたもので、素直に自然の秩序の延長上にあるものや、自然である我々の内面から上手く表現された芸術作品のようなものの必要があると思います。 最近作られるようになってきた人工の物の多くは、自然界の物のように洗練される時間などなく、まだ出来損ないや未完成品である可能性が高く、安全と思われていたアスベストやフロンガスなども製品化されてだいぶ経ってから不完全で危ないものだとわかり、その間不完全なものは不自然な気を発し続けたり、自然の循環に当てはまらず環境に負担をかけたりして病気や公害などの原因になり、我々を含めた自然のバランスを崩し、ドラえもんの道具のように社会に問題を生じさせてしまうようです。 欲望を叶えようとすることで様々な技術が発展し、便利で快適な世の中になってきたのは確かだし、全くそれらの恩恵に預からないで生活するのは今さら困難ですが、我々一人一人が本当にこのままでいいのかを考え、不自然な物が発するエネルギーを感じ取って慎重に行動し、行政や生産者は利益よりも本当に安全なのかを十分に検討した上で製品化していかないと、目先の欲のために自然の循環が崩れ、それが巡って自分に帰ってきた時に、快適どころか本当に必要なものを失ってしまうと思います。 040511 |