Human relations 人間関係について
判断基準

人は物事を判断する時に様々な基準に当てはめると思います。
世間体がいいか、面倒くさくないか、儲かるか、会社の役に立つか、、、
このような基準で物事を判断する人も多いと思いますが、
面白いか、気持ちがいいか、美しいか、美味しいか、人や環境の役に立つか。
こんな基準で考えるのもいいのではないでしょうか?

周りの人と自分とを比較して落ち込んでいる人をよく見ますが、自分が楽しく、周りに迷惑を掛けず、少しでも世の中の役にたっていれば、それは立派なことだと思います。

050515

良い揺らぎ

あらゆる物事は不安定で揺れながら存在しているようですが、人間も揺れながらバランスをとり、またそうする事でエネルギーを発しているようです。

皆平等に働けば貧富の差もなく皆平等な生活ができる。
という一見理想的な社会では、人々からは向上心が無くなるでしょうし、
もし性別が男女に別れていなかったら、いちいちお洒落して結婚したり子供を作ったりせず、子孫があまり残らなくなるでしょう。

生活に差があれば生活をよくしたいと思うでしょうし、男女に別れていればモテたいと思い異姓の目をひこうとする。
お腹が減れば満腹になりたいと思い、汗をよくかいたら塩っぱいものを食べようとする。

良くないところでは、暗くて静かなところの車やバイクが電飾をつけたり大きな音で走っていたり、調子に乗っている人を見ると邪魔したくなるというのも関係があるのでしょう。

ある程度の不安定さが生きる力にもつながると思うのですが、憎しみが憎しみを呼ぶ戦争のようなことや、不自然さが不自然さを呼ぶなどの悪循環は避けたいところです。

不安定でいながらも良い状態の世の中を作ることは可能だと思うので、物事の揺らぎを上手くコントロールし、幸せが循環する向上心のある豊かな社会に繋がるよう、皆で意識すると良い世の中になっていくのではないかと思います。

040802

戦争

いま行われているイラクへの攻撃やイスラエルとパレスチナの泥沼。
以前は日本人も多くの外国と戦争していました。
またその昔は国内でも他の都道府県の人と戦争をしたり、隣村同士で戦ったり・・・

戦争に絡めて利益を得ようとする力があるのは確かですが、それ以前に人間には行動範囲や理解の先にいるよくわからない相手のことを知ろうともせず、敵とみなして攻撃する習性があるように思えます。

職場や学校、PTAの集まりなどの身近なコミュニティーでも、派閥を作っては敵を作り、攻撃したり陰口を好む人がいるようですが、人間は敵を作らないと仲間意識が持てず安心できないのでしょうか?

よくわからないものを敵とみなす習性を利用してか、国策としてもあえて敵国を想定し、それとなく国民を洗脳してその国に批判の目を向け、国内への批判を回避し政治の安定をはかろうとしたり、ついでに軍事ビジネスでお金儲けをしようとする国もありますが、そんなことをしていて幸せに繋がるのでしょうか?
悪いエネルギーの循環が起こって、いつか自分達にも帰ってくるような気がします。

宇宙人が攻めてくるともなれば、我々人類も手を組んで協力しあうのでしょうけれど、そんなことがなくてもまず相手のことを理解しようとし受け入れてみれば、戦いや嫌がらせなどはあまり起こらなくなり、いじめで苦しんだり戦争で命を落とす人や悲しむ人が減るのではないかと思います。

040425


column